今も残る日韓関係の面影を探して:草梁倭館跡

草梁倭館は、日本と我が国の貿易において中心的役割を担った日本人居住地区で、龍頭山を囲むように約10万坪(東京ドーム7つ分)の広さで形成されました。倭館の中には、神社をはじめ、日本人の便益施設が多くありましたが、現在は、公園に登っていく3つの道が出合う地点にある碑石(地図①-1)等が残るのみです。

近くには草梁倭館の頭である館守が住んでいた館守家があったとされ、今も建物に続く石の階段が残っています(地図①-2)。また、近くにあった船着き場は埋め立てられ現在は駐車場になっています(地図①-3)。当時は龍頭山を中心としてその東側が一番早く市街地として発達し始めましたが、人々はこの船着き場から館守屋を通って出入りしたと見られます。

なお、倭館での貿易では不正行為も多かったとされ、これを取り締まる碑(「約條製札碑」)が建てられましたが、碑は釜山博物館の敷地内に移設されています。

(地下鉄南浦駅から徒歩10分)